あれから一年。今一度できること、やれることを見つめる。
自分は当たり前のように一日を過ごしていた。
お昼を終えた小一時間。
仕事部屋でPCに向かっていた。
空は青く、白い雲は流れ、ラジオからは陽気な音楽が流れていた。
14時46分。異変がはじまる。
遠くからゴォオンと地鳴りを感じた。
地震くる!と思った瞬間、ゆらゆらと部屋は揺れ始めた。
せいぜい少し揺れるくらいだろうと思いながらも嫌な意識が頭のなかに浮かびだした。
これ、いつもと違う……。怖い…!
そう感じたとき、ミシミシミシと部屋の壁は音をたて
家具は一斉に踊りだす。
本棚からは本が雪崩をおこし、頭の上に落ちてきた。
食器棚から皿は飛び出しくだけ散る。
冷蔵庫の中にあったものはすべて床の上に散らばる
そんな様子をみながら必死で机の下で机の足にしがみついていた。
ラジオも曲は止まり
DJの人が「落ち着いて、身を守ってください」と大きな声で呼びかけていた。
地震が引き起こした大津波が
テレビから中継される映像は現実とは思えず、立ち尽くした。
数百名の○○が海岸にという報告に耳を塞いだ。
あのときの記憶は1分1分しっかり思い出す。
恐怖もあの日と変わらない。
小刻みに震えさえ起こる。
あの日以降、日本はかわった。
世界一、平和で安全の国という呼称は
砂漠の上の蜃気楼のように消えてしまった。
一年たった今も
危険な区域の第一線で働いている人は大勢いる。
彼らのおかげで日本人は日本の地で生活することができている。
3基の原子炉の爆発という未曾有の大事故は人類史上、いや地球史上、
後世に禍根を残すものとなった。
東日本大震災、死者15854人、行方不明者3155人。
あの震災は尊い命を老若男女関係なく奪い去った。
そして今なお、余震が続く。
最近では次なる大地震についてマスコミはこぞって情報を流す。
危機管理を持てという警告と被害想定をだし、自分の命は自分で守れと言わんばかりのように
刷り込み方法でどの局も放送している。
それはそれで大事なことだ。
もうすぐあのときと同じ14時46分がやってくる。
この一年で考え方、生き方は変わった。
ではどのように変わった?
一年を反芻するように目を閉じる。
人と人のつながりがどれほど大事なものか。
家族の支えはどれほど深きものか。
命とはどれだけかけがえのないものなのか。
人の笑顔ほど素敵なものはない。笑い声ほど心を豊かにしてくれるものはない。
あの日と同じように空には太陽がある。
雲が右から左へ気持ちよさそうに流れている。
「いってらっしゃい」という女の子の声が廊下から聞こえた。
「いってきます」と答えるお父さんの声が返ってきた。
きゃきゃきゃきゃと嬉しそうな笑い声。
日常生活の一コマに笑みが浮かぶ。
人は人によって幸せをもらえ、感じてハッピーになれる素敵な生き物。
それは昔も今も変わらない。
今、復興という名の元に様々な懸案がでている日本。
遅いという声もある。
空回りばかりという声もある。
それでも日本人として願いたい。
震災で被災したすべての人が早く安らぎをもってくれるように
1ミリでも進んでほしいと。
そして自分は何ができるか、何をすべきかをもう一度、きちんと考えよう。
福島県浪江町請戸漁港近くで『磐城壽』を醸していた鈴木酒造店さんも現在は山形県長井市で
造りを再会している。
羅針盤デザインのラベルは未来へ元気に進む蔵の人々の様子が見えてくるようだ。
今年醸された『磐城壽』は東北の復活を教えてくれた一杯。
まさに復興のシンボル酒である。
(詳しくはプレジデント社発行の『dancyu』今月号で山同敦子さんの記事で紹介されています)
東日本大震災でお亡くなりになられた方のご冥福をいつまでも心からお祈り申し上げます。
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