SICAN 1 土器ー壺ー
こう書いて、すぐにわかる人はかなりの歴史好き、考古好き……
そして、ロマンあふれる人だろう。
私がこのSicanに出会ったのは学生時代。
テレビで発掘様子をドキュメントで放映しているのを見た時だった。
あのときの衝撃は忘れられない。
南米の崩れたピラミッドの傍らを掘り続ける現地の人。
そしてその指揮をとっている日本人の姿。
島田泉教授の姿を目にしたとき、「シュリーマンみたいな人だな」とつぶやいた記憶がある。
そして見つけたのは朱色に塗られた黄金仮面をつけた人物だった。
Sican とはペルーにあるアンデス文明ひとつ。
有名なインカ帝国やナスカ文明などに影響を与えているといわれている文明だ。
はっきりいって、この文明、未知なる部分がほとんどで、
今年で島田教授が発掘をはじめて30年目にあたるが、まだまだ解明できないといわれている。
Sicanという言葉は現地の古い土着語であるムッチク語で、「月の家」「月の神殿」を意味している。中期シカンの都市も「シカン」と呼ばれていた。私たちは簡単にsicanと呼んでいる文明も大きくわけて、前期・中間・後期の3つの時期にわけられる。
他の文化でもみられるが、この3つの時期はそれぞれに雰囲気が異なる。
ただ、遺跡から発掘された遺物をみていると衰退という言葉で表現するのはなにか違い、
変化という言葉がしっくりくる。
「いつか現地にいってみたい」「発掘された遺物をこの目でみてみたい」という願いは
どんどん大きくなり、年月を経た今年!
30年という節目で、日本にsicanがやってきた。
「黄金の都シカン」
2009年7月14日~10月12日・東京上野にある国立科学博物館。
行かねば行かねば……と流行る心をおさえていると、
偶然なのか、神様の思し召しなのか……なんと!
「sican1日ブログ記者」に当選したのである。
これはもう驚きとともに、学生時代に興奮した気持ちが……どんどんと湧き出てきた。
その日は10月1日(木)12時。そのときはすぐにやってきた。
入り口で、係の人に注意事項を聞き、いざ展示室へ入室。
記者ということで、写真撮影OKという、お墨付き。
こんなことは、ほんと滅多にない。
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(1日ブログ記者体験)
平日のお昼ということもあり、観覧している人の混み具合もちょうどいい。
Sicanというと、朱色の黄金のイメージが強いが、
ゴン麹的には出土する壺の種類の多さが昔から気になっていた。
壺フェチというわけでもないが、
3つの時期によって、壺に施される装飾具合もかわる。
前期の壺には土器の注ぎ口の基のあたりに猛禽類
鳥のような顔が付いている。
後期になると装飾はなくなり、実用的なフォルムになる……。
しかし、その前期と後期の間の中期。
中期の壺にはSicanの神の像が土器全体で表現されている。
中期のなかでも(初期・中期・後期)と変化があり
Sican神の形もより細かく、鮮やかな文様が装飾されていた。
Sicanの文明は宗教的要素が強いそうだ。
確かにこの中期の時期のものはどこか、神への供物の壺が
これでもか!!!といわんばかり出土し、
壺ひとつをみているだけでも……物語が頭のなかに生まれてくる。
中国の中国青銅文明の中で異彩を放つ三星堆遺跡の青銅遺物にも似ている。
ごてごてした飾りひとつひとつ……
全てに理由がある様式。
神と農作物と混合に表した壺も多い。
豊作を祈る気持ちは……どの地域でもどの時代でも変わらない。
しかし、神に捧げる土器として、大きすぎるものが多いのでは?と思っていると
ミニマムサイズも出土している。
ミニマムサイズが祭祀用だとしたら……
普段の生活のなかで、シカンの神や穀物をかたどった大きめの土器を
Sican の人々は使っていただろう。
装飾が派手な壺などは、
生活するうえで、使いにくいのが本音(現代人の場合)。
でも、Sicanの人の生活は神とともにあったのだろうと想像できる。
神とともに。
日本も本来はそうだ。
生活すべてに八百万の神が宿り、共に生きてきた。
空にも地にも、空間にも……神は宿り、存在する。
そういう意識があるからなのか。
Sican人の神とともにある宗教生活を想像でき、空想し、楽しめる。
Sicanの土器に装飾されている作物は農作物だけではない。
@Sican図録より借用
ウミギクガイやイモガイといった海のものもある。
@Sican図録より借用
これSicanの近郊で採取されるものではない。
ということは、遠方の地域と交易していたという証となる。
交易があるということは、
Sicanの人達は外(外国)に向けて、常に目を向けていたことだ。
その証しとして「ナイペ」と呼ばれる青銅器(貨幣)が存在していた。
Sicanの文明のなかでももっとも交易が盛んとなり、大きな業績を得ていたのは中期。
それまでに例のない交易網が南米大陸に張り巡らされていたようだ。
発掘で出土している副葬品のなかには、エキゾチックな品も多い。
さらに琥珀やアメジスト、エメラルドなどの原石をコロンビアなどの北の地方からとりよせたり、
先ほど紹介したウミギクガイはエクアドルから運ばれてきたということが調査では証明されている。
現代のように、飛行機や車があるわけでもなく、インターネットというような通信網があるわけでもない。
にもかかわらず、広範囲の地域との交易、交流ができる能力。
十分、今の私たちよりもその能力に長けていたといっても間違いはないだろう。
土器は素焼きの土師器がほとんど。
しかも特徴的なのが黒色光沢の土器。
Sicanの神の形の他に
作物や魚などの形をした土器も黒く光っている……。
美しく、そして妖しい美しさ。
彼らはこの壺になにをいれていたのだろうか。
水はもちろん。
調味料などもいれていたのだろうか。
.....Σヾ(;☆ω☆)ノ.....Σヾ(;☆ω☆)ノ.....Σヾ(;☆ω☆)ノ
(ちょっと大きすぎるが)
ゴン麹的には、お酒などのアルコールも
いろいろな壺で貯蔵されていたのじゃないのかなと想像すると、かなりワクワクしてしまう。
ヽ(●´3`)ノ゛ルンルン♪ヽ(●´3`)ノ゛ルンルン♪
かぼちゃの形にはかぼちゃのお酒。
トウモロコシの形にはトウモロコシのお酒。
そう考えると土器の壺の数を考えると
Sicanの人々って、意外と酒好き!(*^_^*)だったのだろうか……と
さらに親しむやすくなる。
でも……ウミギクガイのお酒って……
いまでいうと……海草焼酎のような味なのか?????
ギョッ!Σ(・oノ)ノギョッ!Σ(・oノ)ノギョッ!Σ(・oノ)ノギョッ!Σ(・oノ)ノ
まだまだSicanの不思議はつきることはない。
※追々、ゴン麹で紹介していきます。ヮクd(*^0^*)dヮクヮクd(*^0^*)dヮク
一番、にんまりしたのがこの黒色光沢の壺。
男性の像がついた壺だが腹ばいになってなにかを見つめている。
正面もいい感じだったが、それ以上に後ろからみるとかなり愛嬌あり。
なんといってもこの男性が身につけている下帯(ふんどし?)の描写。
リアルでありながらどこかお茶目な雰囲気。こういう壺が地面の下からでてきたら……
きっとくすくす笑ってしまうだろうな……(^m^ )クスッ(^m^ )クスッ(^m^ )クスッ
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Sican文明展は東京終了後、全国を巡回!!
熊本県立美術館(2009/10/30〜12/23)
富山県民会館 (2010/1/9〜3/7)
高知県立美術館(2010/3/14〜4/18)
福岡市博物館 (2010/4/24〜6/20)
※お近くの際にはぜひ、あの世界を楽しんでください。(^_^)v
そんなSican文明の発掘記録が掲載されている図録は……大事な本の一冊になったのは間違いなし。